目の前という基準

おもちゃとは何だろう、とときどき思う。

かっこいいミニカーや恐竜のフィギュア。確かに息子は目を輝かせる。

だが、それ以上に夢中になるのは、こちらが用意していないものだ。

しかもだいたいは、そのへんにある、捨てても困らないようなものだったりする。

配送で届いたあとの段ボール。

中に入れて部屋の端まで引っ張ると、やけにいい顔で「もっと」と言う。

梱包のプチプチ。

まだ自分では潰せないのに、音が鳴るたびに目を丸くする。私が潰すと、真似をして指に力を込める。

輪ゴムを数本渡せば、それだけでしばらく静かだ。

ときどき反撃を受けて驚いているのも、まあ悪くない。

そこには説明書も、対象年齢の表示もない。

今は、開けばすぐに「これが正解」という情報が流れてくる。

何を与えるべきか、何を伸ばすべきか。親切だが、見ていると少し焦る。

このままでいいのか、とつい思う。

だが目の前で、段ボールに入って満足そうにしている息子を見ると、別の答えもあるのではないかと思えてくる。

正解かどうかは、まだ分からない。

ただ、今この顔をしているのなら、いったんはそれでいいのかもしれない。

私はときどき画面を見て、ときどき息子を見る。

まだ、そのくらいのバランスでやっている。