バリカン一本の、父と子の時間

わが家では、息子の散髪は私の役目だ。

道具はバリカン一本。

場所はお風呂場。新聞紙を敷き、排水口にはネットをかける。

分かってはいるが、

子どもの髪を自宅で切るのは、なかなか骨が折れる作業だ。

「じっとしてて」と言った直後に、体をくねらせる。

首元に落ちた毛が気になるのか、音が怖いのか。

理由はよく分からないが、とにかく、じっとしているのはまだ無理なようだ。

正直、できれば避けたい。

それでも、時間も、お金も、手間も考えると、

結局、自分でやるのが一番らしい。

切る側には、もう一つの緊張がある。

妻の目だ。

もし仕上がりが微妙なら、

「次からはお店でいいんじゃない?」

その一言が、常に頭の片隅にある。

覚悟を決めて、スイッチを入れる。

イメージは、爽やかなスポーツ刈り。

刈りすぎたかもしれない。

左右が違う気もする。

そんな迷いを抱えたまま、三十分。

鏡の前の息子は、なんとか清潔感を保っていた。

今回も、私の役目は続行らしい。

一息ついたところで、

ふと、自分の子ども時代を思い出す。

父も、同じように私の髪を切っていた。

どんな髪型だったかは、もう覚えていない。

ただ、あの時間が、

父との記憶のひとつになっていることは確かだ。

何かをしてもらった、というより、

一緒に過ごしていた時間として。

いつか息子も、

当たり前のように散髪屋へ通うようになるのだろう。

今日のことも、細かいことは忘れてしまうかもしれない。

それでもいい。

この、不器用な時間が、

どこかに残ってくれれば、それで十分だ。